2020年5月25日 『イデア 光と影の物語』 をSUPER EDITION様より出版致します。
長かったし大変でした。
それを終えた今。
ブワァっと振り返ると、他人事のように感じ、今おせんべいをバリバリ食べていますが
じっと1つずつを振り返ると、バリバリは消え、静寂が訪れます。
イデアの物語を書いたのは、2017年10月。
書き始める前のことは、薄っすらと覚えていて
書いている時のことは、全く覚えていなくて
書き終わった瞬間のことは、昨日のようにはっきりと覚えています。
その時思ったことは、言葉にはせずにそのままギターに伝えました。
【イデアを産む以上、出来ること全てをする】
その時自分と交わした約束。やっと果たせます。
イデア書籍は2度延期になりました。
1度目は、書籍製作上の過程で。2度目は、コロナ。
細かく言えば、両手では数えきれないくらい諦めるポイントはありました。
でも、どんなポイントがあろうが諦める気は一切なく。
理由は、ある信念があるからです。
『イデア 光と影の物語』のリリースですので、書籍の詳細について 書こうかと思っていたのですが
書くべきなのですが、
実際書いている今。
書籍詳細は辞め、自分詳細にしようと おせんべい食べながら決めました。
耳でみる絵本 という活動をしていますと、色々ございまして、
例えば 絵本の方々、音楽の方々から ニャーニャーと言われたりもします。
親交のあるミュージシャンからは、
「そんな子供に聴かせるくだらない音楽してないで、もっとニャーニャー」とか 色々です。
何故、全てを 耳でみる絵本 に注いでいるのか。
そして、その誰もいない道を歩む中、完全タブーなイデアを生んだのか。
このことは、誰にも話していませんでした。
現在48作品をオーディオブックとしてリリース中ですが、自分でいうのもあれですが、普通心折れます。
折れないのは しなやかさ とかではなく、単純に折れない 芯 があるから。
子供が好きなのですね! とおっしゃってくれる方もいますが、好きですが それが動機ではないです。
本当は、コロナで延期になりました3/20出版記念LIVEでお話しようと思っていましたが
なくなりましたので、誰にも言わぬまま 言葉にせぬまま。
イデアは世に出ます。色々な想いをすると思います。良いことも悪いことも。
産みだした親として、LIVEで自ら送り出したかった。
でも無理ですので、その信念を 信じている念を 言葉にすることで送り出したいと思います。
これから書かせて頂くことは、私の考えです。いち意見として、とらえて頂けましたら幸いです。
6年前。生きる意味を見失うことがあり、とんでもなく心が荒れていました。
ギターの演奏も刺々しさ極まりないそんな時期。
眉間にしわを寄せ 車を運転していると、ラジオからある話が流れてきました。
【水にも結晶がある。しかも、人の声に反応する。】
偶然耳に飛び込んできたこの言葉が、僕の中で【?】を【!】に変えました。
少し話を戻しますが、生きる意味を見失うとそれを探します。
どう生きるか そして生きる意味を考えた時、私はどうしても死を考えてしまいます。
死を考えた時、自分が死んだ後を考えます。
【戦争のない平和な世界】 であってほしい。
純粋にそう思います。愛するモノがいる世界だからです。
でも、愛があるせいで 争いが起きるとも考えてます。
極端ですが、平和も愛が生み、戦争も愛が生む。
だからこそ、愛と向き合う必要がある。
愛と心は一心同体でありますから、あやふやな心の正体を知ることこそ、平和への道だと考えています。
死後少しでも平和な世界である生き方をする。これが生きる意味。僕の場合は ですが。
その為には、まず心とは何か の問いを解く必要がある。
話を戻しまして、
水の結晶について、帰宅後色々調べました。
賛否両論ある説ですが、ざっくり言えば
水には結晶があり、その結晶は人の言葉や文字に反応する。
優しい言葉を語り掛けると水は綺麗な結晶を創り
怒りなどの言葉を語り掛けると水は結晶を崩す。
つまり、水は想いに反応する。
この説により僕の中で様々な点が繋がり線になりました。
突拍子もないことを言いますが、僕は
心の正体は、水 だと思っています。
人の声や音楽を聴いて涙する事 涙が水であること 花が気持ちに反応し枯れることなどなどなど。
地球はほぼ水。人もほぼ水。ほぼ心。
だとすれば
言葉に 音に 込めた想いで、聴く人の心に綺麗な結晶を作ることができる。優しさを生める。
未来とは子供である
子供の心に綺麗な結晶を咲かせることが出来たなら、やがて来る未来は平和を歩む。
その未来を望む生き方が、今を生きる意味となる。
僕はこの考えにより、クラシックギターと朗読で構成された 【耳でみる絵本】 をライフワークにしようと決めました。
以上です。
イデア いってらっしゃい。
家には加湿器が5台あります。
100くらいの楽器がいるので
「あなた達には見えないのですか?この子の輝きが」
そう叫ぶイデアの母の言葉が心に深く残りました。
私達は見えるものや誰かが完成させたものばかりに価値を感じてしまいがちですね。
本当の美しさは、それを引き出す側の心の中にあるのかもしれないな、
と作品を読みながら感じました。
佐藤洋平さんのギターは、心の弦を奏でてくれるような音色で、
一人で全部の役を演じるのはとても楽しかったです。
それぞれの色が出せていたら嬉しいです。
佐久間レイ
佐久間さん、幸せな18分 有難うございます。
また、何卒宜しくお願い致しました。
audiobook.jp版のジャケットはこれです。
宣材写真といいますか、アー写といいますか
かれこれ5.6年前くらいに撮った写真を今まで使っていました。
いや、もっと前になるのかな。
これとかです。ギター持たずの手品師 いや、魔術師スタイル。
プラネタリウムが好きで、あの空気感が好きで、
頻繁にプラネタリウムに足を運んでおりました。
そんな中出会ったとあるプログラムが
『なぜ、流れ星に願い事をすると叶うのか』
という問いに答えをくれた。
その答えが大好きで、なんか嬉しい気持ちになりました。
少し逸れますが、
5年前から私の右手首には白黒のミサンガがきつく結ばれています。
ミサンガは意外に切れない。かれこれ5年切れていない。
【ミサンガが切れたら、願い事が叶う】
調べたりはしていないけど、恐らく
【流れ星】と【ミサンガ】が願い事を叶えてくれる理由は同じ。 だと思う。
常に【願い】を想い、叶えるために生きていれば、
簡単には見れない流れ星が過ぎ去るほんの一瞬でさえ願っていて、
いつか流れ星に出会う頃、ミサンガが切れる頃、
流れ星やミサンガは願いを叶える。
もうすぐ、ミサンガが切れそうです。
なんやかんや休みなく働いておりまして、
どうしてもご褒美がほしいと思っていた今日この頃。
(本当に重症な風邪はひかなくなったなぁ~と思う今日この頃。)
仕事終わりに、ふらっと立ち寄ったドンキの4階。
ずっと欲しかった【アレ】が在庫処分で半額以下の価格に!!
買うべきか暫く立ち止まり、【アレ】とにらめっこ。
在庫は残り2つ。
ん~~。
また暫くにらめっこ。
この価格はあと2週間で終わってしまうらしい。
ん~~。
買わない理由を頭に浮かべる。
ん~~。
はい!!
買いまぴた。
これです。
結構前の話ですが、
クリエイターEXPO終わりました。
非日常でした。
東京ビックサイトには、その非日常が日常の人が沢山いた。
逆に僕の日常は彼らにとって非日常なのだろうなとなんか変な気持ちに。
次は
【アメリカ大使館に行く!!】
というイベント(いや、イベントじゃないか。ミッション。)がございます。
もう終わったので、ございました。
耳でみる絵本のアメリカ税関係ITINで行ったのですが、終始ソワソワ。
なんかジャック・バウアーがいそうだなと周りをキョロキョロ。
アポや書類関係すべて英語。
こちらはアタフタ。
ロン毛にパーマ&マスクで楽器を持っている私は、警察官の方に何度も話しかけられました。
たしかに怪しいですよね。気持ち分かります。
と自分でも思いました。
クリエイターEXPOも大使館もそうですが、
【初めて】って大切だなと。
何かを【始めて】
はじめて
【初めて】に出会う。
【始め】と【初め】の新鮮的感覚を失わずに忘れずに大切にしたいものでございます。
痛みを伴うこともあるけれど、
僕は僕の今いる世界で精一杯頑張ろうと思います。
なんやかんや気がつくと
1日1食スタイルとなってしまいました。
そうなると
1年で365食に
仮に80歳で亡くなるとしたらあと17520食になるわけで、
今までより食が体を作ってますよ感、貴重感が強くなり
『何食べる?』と考えることが凄く楽しみになった。
なんか、ことわざでありそうだなぁ~と思う今日この頃。
東京ビックサイトで
4/4~4/6の3日間開催されますクリエイターEXPOに耳でみる絵本で参加致します。
明日4/3は搬入日。
企業様との商談イベントなのですが、
色々と準備をしているとなんか文化祭感が春の風に乗って漂い始めました。
『あれいるなぁ~』
『これもいるかなぁ~』
とハンズや100均へ買い出しに行く。
関係のない可愛いシールや文房具、置物をついつい買ってしまう。
(理想はジャンケンで負け買い出し部隊として一緒に来た友達に予想以上に怒られる)
ハサミやペンを使いワクワクさん工作。
入り時間がめちゃくちゃ早い。
これらが重なり合い
気がついたら僕の周りは桜ではなく文化祭感満開に。
こうなったら
Tシャツ作ろうかしら。
シールタトゥーでもほっぺに貼ろうかしら。
後夜祭でRADWIMPS歌っちゃおうかしら。
学生時代はちゃんと文化祭に参加しなかったので、
遅れてきたワイワイとした青春が今、目の前に。
がしかし、一人で参加。
さらば青春。Tシャツ。ほっぺのタトゥー。25コ目の染色体。
真面目に頑張ります。
知らぬ間に髪がノビノビタ。
「そりゃ~伸びるどら!」というくらい月日は過ぎ去りましたが、
振り返ると長い前髪の先に足跡は確実にあって、
耳でみる絵本は早いもので20作品目に突入。
(なんかコナンが頭を過る)
記念すべき20作品目は
長編『イデア』
児童向けです。
【やりたいことをやりきる】
をテーマに制作を開始しました。
書いたとか
産み出したとか
降ってきたとかではなく、
オエオエ言いながら
吐き出した。
涙も血も出た。
ギターレコーディングもイデアの世界に入り込みすぎて、作品が進むにつれて
息が出来なくなるというか精神的に追い詰められました。
それくらい『イデア』に全てを食われかけて、
私生活もままならない感じになりながら、
必死に向き合い完パケまで持っていきました。
【なんか最近佐藤が変だ】
と感じた方は『イデア』のせいです。
今の全てをこの作品に置いてきました。
次に進む為。
朗読はいつもお世話になっております今中アナ。
今までで一番気持ちが1つになりナイスシンクロをしております。
まだちゃんとお伝えできないのですが、【イデア】と【あなたのそばに】は朗読者をある有名な方に変更したversionを配信する計画がございます。
時期が来ましたらご宣伝させて頂きます。
過去と今と未来をつなぐターニング作品なので、
僕のターニングヒューマンである愛すべき親友にコメントをお願いしました。
音楽によって命を得た物語は まるで生き物だ。
雪がドカッと降った日。
僕は誕生日でした。
既に一ヶ月前の話です。
月日オソロシヤ。
帰り道、
絵具と筆を買い、
携帯に向かって空中で筆を振り、スランプに突入して外に出せない色々を色に込め飛ばしました。
物事の価値は人がそれを求める数で決まる。多分。
でも、価値観は違う。
多分真逆。
自分の価値観は衝突を生み出し、
他者を突き飛ばすし
逆に突き飛ばされる。
色々思うことがあり、
何を言われようがされようが揺るがぬ思いもある。
ただ、柔軟でもいたい。
きっと今、
目の前でスマホを3台操っているスーツの男性も同じなんだろうし、
ブレンド飲みながら頬ずえついてスマホを見ているダンディーなスーツの男性も、
ハンチング帽を被りアイスティーを飲みながらスマホを…
みんなみんなスマホスマホだ!!
アンシュタインとジョブズが重なって見えた。
僕は
『うちのタマ知りませんか?』
のお気に入りの自由張を開き、
お気に入りの水玉ボールペンで
『自由ってなんだ』
とでかでかと書いた。
恥ずかしくなり、すぐまっさらなページへとそれを隠した。
スマホはたしかに【自由】を与えてくれる。
でも、僕が思う【自由】はそこにはない。
いや、厳密にいえばあるのだけれど、直接的な便利=自由ではない。
そんなこと言ったらお前は何様だと袋叩きになるだろうけど、何様でもないけどそう思う。
そんな中最近、沢山の社長さんとお話する機会に恵まれております。
楽しくて仕方ない。
何かを背負い、何かを極めている、極めようとしている人の話は楽しくて仕方ない。
それと同時に、支援してくださる多くの方々に感謝しかない。
とにかく『志し高く』。
話が変わりまして、ご報告がございます。
書籍はリリース致しましたが、
基本、『耳でみる絵本』はオーディオブックとして、
㈱オトバンク様からリリースしておりました。
こちらですね。我が子が17作品配信中でございます。
オトバンク井藤様。いつも本当に有り難うございます。
そして、めでたくですね
『耳でみる絵本』を配信して下さいます会社が4社に増えます。
パチパチパチ。
4社だから
パチパチパチパチ
のが良いか!!
②Google
③Audible
④iTunes
詳細は配信が開始されましたら改めてお伝えさせて頂きます。
死を迎えるとき
さらっとした灰になれるように頑張ろう。
これら全て、
多くの方はスマホまたはPCからアプリをインストールし、作品をダウンロードする。
まただ。
スマホ。
スゴイ
マジデ
ホントウニ
ジョブズさんは本当に世界を変えたのだと今更改めて痛感。
結局は僕もその歯車の中にいる。
とある書店の絵本コーナー。
記念に一冊買いました。
最近、卓球がマイブームです。
新しい世界は輝いてみえます。
「はじめまして」の感覚でいることの大切さを感じながら、ドライブをかましています。
早いもので、もうすぐ8月。
多分、平成最後の夏。
あと4ヶ月で、今年が終わる。
あと4ヶ月で
何が出来るのか。
何をしたいのか。
何をすべきなのか。
全然関係ないですが
月って漢字をずっと見ていると32分音符に見えてくる。
そうなると
右手のお母さんとお兄ちゃんが素早く反応します。
日って漢字をずっと見ているとキャスター付きのクリアボックスに見えてくる。
そうなると
綺麗畳まれたTシャツまで見える。
見えるといえば、
無理やりこじつけますが、
今月、7月28日(金)に耳でみる絵本新作をリリース致します。
『わすれないでね。ボクのことを』
という作品です。
本当は
『白い嘘』
って題名にしようと思ったのですが、
間接的、そして、核心的過ぎるのでやめました。
英語版ではそうしようかなと。
沢山、
リリースしたい作品、
すべき作品があるのですが、一先ずそれらは置いといて、
新しく今、作品を描きたいと思い制作しました。
ザ・新作です。
テーマは
「忘れる」
です。
僕は、普段から漢字の意味を自分勝手に解釈し、勝手に納得することが好きです。
例えば、
「大変」
大変な時は大きく変わる分岐点にいるのだと。
もしくは、
変わるということは大変なんだと。
「大切」
大きく切られたくらい、失うと痛い
もしくは、
大きく切られようが守りたい。
とか色々と。
んで
「忘れる」
心を亡くすと人は忘れる。逆にいえば、
心さえ亡くさなければ、
人は忘れない。
『わすれないでね。ボクのことを』
を皮切りに
胎児対象、新生児対象、乳児対象、幼児対象、そして、英語版を今年残り4ヵ月連続リリース致します。
そして、10月に書籍として耳でみる絵本発売予定です。
その前に
『わすれないでね。ボクのことを』
をリリースしておきたかった。
ビジネス的戦略とは
かけ離れた一手となりますがそうしました。
今の自分を確認したくて、確認してから進もうと。
自分の中では縛られずに攻めた作品です。
感想を知りたくて
普段から色々と相談している友人のピアニストに聴いて貰いました。
「本当いい作品だね。
最初はくもりの風の吹く夜の森だったよ。
それが段々とではなく
気がついたら月が明るく照らして、
雲まで見える夜になってた。
木や花も 味方になって揺れてる感じ。
ムンクという真ん中を周りのがみんなが包んでいるような感じを受けたよ。
ようへいの作品は全部そうだけど、そこの世界にある音 風だったり、
波だったりみたいな自然の音がみえるような感じがするよ」
攻めて良かった(x_x)
是非、聴いてみてください。
話が前後して申し訳ありませんが、
現在リリース中の4作品。沢山の方々が購入してくださいました。
データとしてこっそり把握しております。
会員登録+クレジットカードかキャリア払いというハードルを越えていただき、
この場を借りて感謝を。
有り難うございますm(__)m
これからも、良い作品を良い作品をと精進致しますので、
また、宜しくお願い致します。
あと、宜しければ爆発的宣伝を。
また、話が前後しますが、自分も自分の作品を買いました。
そしたら、高周波ノイズが作品にのっていてかなり気になってしまい、
私の担当の方に伺いました。
すると
その高周波ノイズは購入者を識別する高周波で作品保護の為にのせてます。
普通の方には、聴こえない もしくは、気にならないです。
と。
違法アップロードはバレます(笑)
話を戻しまして
作品解説は、
『あなたのそばに』の解説を書いて頂きました教育コーディネーターの小山さん。
記憶を失う当事者として、自分を考える人は少ないだろう。
怖ろしすぎるからだ。
リスのムンクは、一晩眠ると前日の記憶を失ってしまう。
恐怖と深い悲しみに耐えるムンク。
そこへ森の賢者フクロウのフォレストが現れる。
そして、フォレストがムンクに申し出たことは・・・
この物語のテーマを私は「再生」と考えている。
記憶を失うことは、毎日が初めまして。
フォレストの言葉を借りて、佐藤さんの人生観が投影される。
この作品で演奏される佐藤さんのギターは、フォレストの温かく分厚い翼だ。
その翼に包まれて、まどろんでしまいたくなる。
忘れたくない逸品だと私は思っている。
いつも有り難うございますm(__)m
実家のリス元気かな?
ではまた。
『影口』
この作品は他の3つと違います。
対象が違います。
だから、結構反対されました。
少し話が逸れますが、
1年程前に兄とSkypeで話していて、
最近どうなの的な話を。
僕は作品と権威付けの話を。
兄は僕に言いました。
「権威とか大切なのかな。斬新過ぎるから、大人は型にはめようとしているんじゃないかな。そんなの壊した方がいい」
的な。
何も分かっていないと言いましたが、
その時、型にはめようとしているのは他の誰でもなく自分だと気が付きました。
だから、『影口』を選びました。
そんな経緯もあり、コメントは兄にお願いしました。
「影口」は影と陰という異字同訓である「かげ」を同一視することで、
人間の「内面」と「外面」を「かげ」を使って巧みに表現している。
光と人間の相互作用により「影」ができるように、
社会と人間の相互作用から「内面」である「陰」を形成し、
逆に「陰」は人間の「外面」にも影響を与える。
作品はこれら「内面(陰)」と「外面(陽)」という引き離すことのできない存在を
「かげの擬人化」により分離し、「影」と光の当て方が関係するように、
「陰」と社会の捉え方が関係している様をユーモラスに表現している。
また言葉で語られぬ主人公の心情の変化をギターの音色が補完することで
「耳で見ている者」を強く惹きつけ、その美しさに魅了される。
物理学者 佐藤勇貴
発売は2016年5月26日。
チラシも無事完成し、
缶バッチも出来ました♪
是非、ヨロピク御願いします。
僕は次の作品と向き合います。
では、また。
最近のマイブームは、
バスタブにお湯を溜めながら、草津にするか箱根にするか別府にするか悩むことです。
ではでは、耳でみる絵本作品紹介スタート!
『ヨンタクロース』
サンタさんのお話です。
ではではまた次回。
「おいおい、ビックリしたぜ!!
そりゃ~ないぜ!!
キミは前回のクロッポーでも、ボクを呼んでくれなかった。
ボクは、チェリーパイを焼いて待っていたのだよ。
よ~し、分かった。今回はボクが作品紹介をしよう。
ヨンタクロースは、みんな大好きサンタクロースのお話さ!
サムライ!!」
混沌とした感じになりましたが、ヨンタクロースに関しましてはあまり多くを語れないといいますか、語るべきではないといいますか。
コメントをお読み頂いたほうが素直にご紹介出来るかなと。
クロッポーさんと同じあいりさんまりんさん親子さんです。
聞き慣れた名前「サンタクロース」を
今まで「三択ロース」なんて思ったことがなかったので
「ヨンタクロース」という題名を聞いて、
どんな愉快なサンタさんが登場するのかワクワクしていました。
私はサンタさんがトナカイ達の名前を呼んでいる時に流れ始める音楽が大好きです。
目を瞑って聞いていると、星の綺麗な夜空の中を沢山のトナカイと共にサンタさんが来る様子が想像出来て楽しい気分になります。
小さい頃にクリスマスイブの夜を心待ちにしていた時の気持ち。
今隣で嬉しそうにお話を聞いている娘も、その時の私と同じ気持ちなのかなと思うと
見ていて微笑ましくなります。
娘はお話の中でキューピッドの鈴の音がお気に入りで「キュピーン、キュピーン」と
よく言っています。
その言い方が可愛らしくて聞く度に目の前をハートが横切るような気がします。
2人の子供への四択のプレゼントは全く異なる物だけれど、
どちらも全ての子供の中にある純粋な心がストレートに描かれていると思います。
子供が上手に言葉に表せない大切なメッセージを「ヨンタさん」から大人達へ
プレゼントされたような心温まるお話です。
ではでは、また次回。
最終回です。
また風邪ひいた。
さすがにもぉ~いいよ。
無理する×1週間=風邪
みたいです。
朝、声が出なくて
喋ると咳が出るので、
1日サイレントレッスンをしました。
10秒に1度笑ってしまい、なんやかんや咳を。
というか、今更ながら僕は喘息みたい。
たまに息を吐くことが出来なくて、マジか!とじたばたすることがあるのですが、
喘息持ちの方とお話していたら、それ喘息ですよ!と。
いや、悪魔にトリツカレタのかと
とスットンキョーな返答をして、自分で自分を騙しました。
自分のことは基本まぁ~いっかで過ごしてきましたが、
そろそろちゃんとしないとシャボン玉飛ばせなくなる。
ということで耳でみる絵本作品紹介スタート!
あっ、一応レコーディングで使用したギターのご紹介を。
アントニオ・マリン・モンテロ。
弦はフランスのサバレスカンティーガとニュークリスタルのハードです。
クラシックギターは最近マリンちゃんしか弾く気になれなくて、
マリリンマンソンのみで全作品弾きました。
ということでみみえほん作品紹介スタート!
あっ、一応ヘルツのお話を。
耳でみる絵本のギターは
396Hz又は528Hzを軸に作曲し、演奏してます。
ソルフェジオ周波数ってやつです。
ちょっと胡散臭くなりますが、
396Hzには『罪の意識や恐怖の解放』
528Hzには『無限の可能性、DNAの修復』
のような効果があるとされています。
もっと簡単に言うなら
自律神経を整え、心身の不調を改善する魔法のヘルツです。
科学的根拠は今のところないみたい。
最初は僕もそんなバカなぁ~とむしゃむしゃプリングルスを食べていたのですが、
実際にそれらのヘルツを奏でられるようにギターを調整し、弾いてみたら、
『なんか、分かるかも』
とプリングルスを求める手が止まり、ヘルツを求めていました。
あわよくばという願いで
上記のヘルツを採用しております。
ということで耳でみる絵本作品紹介スタート!
あっ、一応レコーディングで着用した服のお話を。
……大人しく作品紹介を。
あっ大人しくの大人ってこういう意味なのか!!
『クロッポー』
この作品のデモはかなり前からありました。
鳩時計のお話です。
題名は、
クロック+パッポー=クロッポー。
はい、だじゃr……言葉遊びです。
実家の私の部屋には昔から、鳩時計がありました。
パッポーパッポーといつも時間を教えてくれていました。
今のお部屋にもパッポー君はいます。
満開の桜より、
葉桜の方が
美しく感じた。
そう思った理由はなんとなく分かるけど
今までにない理由。
毎年、〆切厳守で凄い真面目な方々なんだろうな。
いつかエイプリルフールにいきなり葉桜になるっていう茶目っ気をかましてほしいな。
【葉】【桜】【茶目っ気】と並ぶと色が色々あってよく分かんなくなる。
いきなり変わりますが、引っ越しました。
歩いて引っ越し出来るご近所。
ベランダから見える新宿のビルは
前とは違った表情をうかべ、嘘みたいに空に浮かんでます。
物件内件時、何処からか迷いこんだ一匹の小さいクモがいました。
跳び跳ねるあいつ。
『お!家賃折半か!』
このしょうもない脳内の独り言が決め手の格になりました(-_-;)
そういう決め方も生き方もなんかいいかなと。
【家賃折半】というワードが頭に浮かぶとそれに付随して、
【クモと家事分担ダーツゲーム】をしているところまで、想像は進み、
クモが糸でズルをするクダリまで発展し
なんか可笑しな光景でした。
その妄想中、
無言だったので
不動産屋さんは無言の私を見て
【この物件は気に入らないみたいだ】と判断したみたいで、
『ここにします』と言うと「マジで」とため口で驚いてました。
あっでもやっぱ電気代はお願いしたい。
小さい体と糸でゴニョゴニョとメーターを。
ほら、そこのやつ。
そう、そこの隙間から浸入して、そうそう、いい感じ。
いや、逆。それだと高くなるから、
だから、逆だって!…
止まらなくなりそうなので、この辺で。
5月末のみみえほん配信に伴い
様々なことが進んでおり、進めております。
少しずつこちらで
その様子をお伝えしていこうかなと。
まずは、
先日オトバンクのレコーディングスタジオで行われた朗読レコーディング。
写真は…撮ってない。
旅行でも友人の結婚式でも全く写真を撮らないのですが、
周りから
「信じられない」
と言われ、
『いや、心のシャッターを切っている』
と言うと
『心のシャッ』
辺りで食いぎみに
「はいはい、面倒臭いだけね。冷たい人」
と言われます。
ちょっと話が反れますが
今のカメラやテレビは綺麗すぎて実際に目で見ている景色と大分違う。
本当に今を切り取るなら
心に残したいのなら
五感でガン見するべきだなと。
また
「はいはい」
と聴こえてきそうですが。
写真は共有する為にあるのかな。
共有しようとしないから、共有する媒体がないから
撮らないのかいなか。
話を戻しまして
朗読はアナウンサー今中さん。
義務教育時代、
我が家の朝は何故か4チャンネルで、
僕は12チャンネルのしまじろうが観たくて、
母さんにバレないようにCM中にしまじろうにして、
しまじろうが喋る度に母さんは気がつきズームインにズームインする。
そのズームインに映っていたのが今中さん。
いわば、私の、いや、しまじろうの宿敵です。
さすが、しまじろうの宿敵。
素晴らしい朗読で予定よりかなり早く終わりました。
ディレクションも私が担当したのですが、
ザ・抽象的な要望を明快な答えとして表現してくださいました。
有難うございますm(__)m
今後とも、宜しくお願い致します。
今年の年末に今中さん主催の朗読会にギタリストとして参加致しますので、是非。
詳細はおいおい。
そして、ゆずさんのイラストや絢香さんの特殊造形を担当した田中佑佳さんがビジュアルアートを担当し、製作した耳でみる絵本マーク。
深く浅い呼吸を一回した。
空気が肺に入る感覚はなく、肺の外側に抜けるような感覚。
第一段階に答えが出て、
やっと今、スタートを切れる0地点。
その区切りとしてしたその呼吸は頼りなくて、怯えていて、緊張感が伝わるものだった。
そんな時に限って、風邪を引き、ぶるぶる震えながら家へとぶるてく帰る途中、
ピタッと立ち止まった。
きっと時間も止まった。
ある日の夕方。
この日は、仕事のスタートが遅く
街中にドヴォルザークが鳴り響く頃、家を出ました。
時間的に余裕があったので、
いつもは履かないプーマのミドルカットの靴をなんとなく手にとり足に。
この靴は、ジャストフィット故にかなり履きづらく時間がかかる。あと靴ひもがかなり長い。
靴ひもを一度ほどき、全体的に緩め、履き、靴ひもを引っ張り大きな蝶々結びをした。
歩きながらも、ビックバタフライが気になる。
次第にリフティングのような歩き方になる。
蝶々結びは大きく揺れる。
蝶が飛んでいるみたいだ。
と少年のようなことをしていると
ランドセルを背負った少女に話しかけられた。
「前みて歩かないと危ないよ」
ごもっとも。
そうだね、ごめんなさい。ありがとう と彼女に謝り、
この靴ひも、蝶が飛んでるように見えない?
とお得意のリフティングを見せる。
「本当だ!!」
と彼女。
見知らぬ二人が道端でボールのないリフティングをした夕方。
眉間にシワを寄せギターのことだけを考えていたあの頃では有り得ない
講師をして沢山の子供たちと触れあっていなかったら有り得ない
絵本を製作していなかったら有り得ない夕方。
時間の余裕は大切だと思いました。
あれとこれとあれをやって、
あっ!
あれはまだいいか。
あぁ~でも。
とりあえずこれからやろう。
と整理したつもりで時計をチラ見すると午前4時。
焦りから
換気扇をつける前に煙草に火をつけて、その後に換気扇。
どこに行っていいのか迷っていた煙は暗くて姿の見えない換気扇の中へと迷うことなく吸い込まれた。
果たして、
煙は吸い込まれたのか。
はたまた吸い込まれにいったのか。
どっちでもいいか。
と脳内で独り言を言いながら煙草を吸っていたら、ふと眠気がとび、やる気で満ちた。
やることに追われている午前4時。
いや、やることに追われていることで、
立ち止まらずに
走ることが出来て
その走りの目線の先には
やりたいことがある。
ってことは
やりたいことを追っている午前4時だ!!
よく分からないけど
むしろ午後4時だ!!
と。
おもいっきり関係ありませんが、明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
関係ないついでに
2月12日15時から
御茶ノ水クロサワ楽器ドクターサウンド3Fでギター教室の発表会があります。
クラシック、エレキ、フォーク、ウクレレなんでもありで、楽器店の縛りもない発表会です。
無料なので
ご都合宜しければぷらっと是非。
ふと選択肢なんてなければいいのに
その方が迷わずに逃げずにいれるのに
って思うことがある。
この【思う】は考えて想う訳ではなく、瞬間的に直感的に【思う】にきっと近い。
ギターも1種類で個体差もなく。
仕事なんかも1つしかなく、なんの迷いもなく当たり前のように。
ご飯も1つしかない。
天気も1つ。
乗り物も1つ。
服も1つ。
果てしなくすべてを1つにしていくと、
世界は凄く凄く狭くて静かで臆病で
なんか
電池の切れたロボットみたいな気分になった。
選択出来ずの【1】
と
選択した【1】
【1】ってことは変わらないけど、全然違う。
選択出来る幸せとそれに伴う責任を胸に
愛のある選択をして
電池のある人間でいたい、ありたいと想います。
ここ数ヵ月色々とあり
ご報告したいことがあるのですが、【1】つだけ。
にゃにゃにゃんと
僕が制作しているリスニング絵本が
発売まだなのにテレビに出ました♪
先日、文化施設でイベントをしたのですが
その模様とインタビュー的な内容。
がっつりと特集を組んでくれたみたい。
アリガタヤ。
がしかし
【無事放送されました】
と事後報告を受け観れませんでした。
というか家にテレビないので論外か。
放送データ貰えるので楽しみ!
2年前、
アナウンサーの朗読会で演奏をした時、
絵が観えた。
その絵に寄り添い
ギターで絵を加えた。
これだ!!
って思った。
本当に色々あり
これだ!!
と改めて想った。
リスニング絵本作家という職業は恐らくまだ日本にはいない。
沢山の方に助けてもらいながら進んでます。
自分のリスニング絵本イベントに参加してくれたパパママお子さんが
自分の作品に意味を命を与えている瞬間を
それを撮影しているカメラマンを
全力でお手伝いをしてくれている人達を
目の当たりにしたら、
なんか不思議な気持ちになった。
THE自分の事なのだけれど、誰かの事のような気持ち。
選択した幸せはもう十分と感じている。
ここから先は選択した責任を胸に。
今年中に業界大手から発売出来る段取りが出来たのですが、
独り善がりなものにしたくなかったので、
そのせんは見送りました。
恐らく
来年には発売出来るかと思います。
と言いつつも、
まだまだ超えないといけない山も沢山あるし、夢のようにいきなり消える可能性もあるけども、
悔いのないように。
その時、また改めてご報告を。
とりあえず治りそうで治らない風邪を治します。
良いお年を
仕事が終わり、
涼しい空気のせいか
今日はなんとなく歩いて帰ろう
と思い、
結構距離あるけど池袋から歩くことにした。
電車を降りると
イヤホン越しからでも分かるくらい騒ぎまくってる人がいて、
【あっ今日は休日か】
と再確認した。
駅から10分ほど歩き、お腹がすいたのでラーメン屋に入った。
リュックサックをヨイショとおろした瞬間、
頭の中に自分の後方で笑いまくってた二人の顔と遠吠えのような笑い声が一気に浮かんだ。
リュックサックに駅から、これがついてたみたい。
ピカピカ光る角付きカチューシャ。 凄く凄く好みじゃない。
僕は、10分ほど曜日を告げる人になっていたみたい。
なんか悲しい。
すぐ、配線ひきちぎりました。
爆弾処理班だったら、
すぐクビかカリスマかの如く。
夏が終わります。
友達と終電が終わった駅を背にギターを背に歩く道中、
【僕らは10年後どうなっているのか】
的な話をした。
ちょうど10年前も同じような話をした。
その時の未来予想と今は違う。
違った。
そのズレを大人は不安と呼び、
子供は希望と呼ぶのかな。
【10年後は分からない】
って僕らは口を揃えて言った。
でも
明日がどんな日なのかは
なんとなく分かる。
ほんの少し先の未来は、見える。
結構分かる。
結構分かる明日の延長線上にある10年後。
でも、
結構分かる×3650日は分からない。
10年前もギターが全てで
今もギターが全て。
それは、結構分かる毎日の結構な部分にギターがいたから。
だからこそ、
結構分かる日の結構を少しずつ変えていくことこそ、
なんやかんや大切な気がした。
守りではなく攻めの姿勢。
二年前
結構分かる日の中、
自分の中で吹いた風。
小さな蝶の羽ばたきのような僅かな風。
その風がもうすぐ
ちゃんとした風になります。
例えば、
誰かのため息が
やがて、
誰かの背中をそっとおす
誰かの為の息、
優しい風になるのなら、
そうなる未来に不安はなく子供が抱くような希望で満ちる。
そう願い、そうなるように少し先の未来を引き続き頑張ります。
良い秋を
実りある秋を
追伸
10月の唯識live。
ソールドアウトとなりました。
有難うございますm(__)m
席は限界ギュウギュウですので、当日券もありません。
キャパ数の関係で、沢山の方をお断りしてしまい申し訳ありません。
次回はもう少し大きめの会場でやりますので、
また宜しくお願いします。
来てくださる方々に
少しでも風が吹くように
三人で頑張ります。
当日、
CDの販売もございます。
絵本製作に集中したく、
しばらく演奏活動と距離をおいていたので
久しぶりのlive。
個人的に楽しみんみんぜみ。
明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
一瞬、
2016年12月31日にこの文を打ちたい衝動にかられましたが、
マイペースに続けていきます。
年明けて、はや3ヶ月強。
大きな動きとしては
・大手レコード会社との会議
・特許、著作権
・心理学脳科学
・保育士資格
・頻繁に美容師の方ですか?と言われる
などなど自分が何者か分からなくなるくらい色々ありましたが、
「何もなかった」
と
思うだけで、
言うだけで、
なんかその色々が体に心に吸収される気がする。
落ち着く。
あと、ラーメン食べずらいので
ばっさり髪を切りました。
その流れで、
ガラケーからガラケーに機種変しました。
もうすぐ春ですが、
昔から疑問に思っていたことがあります。
よく
「春が来た」
とか
「春が来る」
とかいうけれど、
春がやって来るのではなく
こちら側が春に向かっているのではないか疑問。
春はいつも同じ場所にいて、
僕らが春に向かって歩いている。
たまに、迎えに来てくれる。
こっちの方が好きです。
カフェを転々と移動しながら
物語書いて、
散歩しながら作曲して、
夜な夜なレコーディングして、
朝方、それを自分で聴いて感動して泣いて
という30歳ですが
向き合えば向き合うほど、
本当に思う。
音楽は、凄い。
出会えて良かった。
小学生の時の自分にいつか会ったら、有難うって言おう。
頑張ろうって素直に思える。
先月あったギターの発表会。
未だに
「先生!」
と呼ばれると
【自分は先生なのか!?】
と思うことがありますが、
心理学でいうところの逆モデリングで、
先生に似ず
生徒さん、みんな本当に素敵でした。
有難うございますm(__)m
夏にもあるので楽しみにしています♪
良い春を
こりゃ~も~早いもので後少しで今年が終わる。
自分は来年で30歳になる。
ある決意を胸に、先日、引っ越しました。
嫌いな街に住もうと思い、新宿周辺にし、中野にした。
そしたら、いい街だった。
思い立って2週間で引っ越し完了。
命に終わりがあることで、
きっと愛があり、夢があり、嬉しいとか悲しいとか生きたいっていうモノがある。
死や終わりの意味は沢山考えたけどまだ分からない。
というかすべての一つ一つのちゃんとした意味も分からない。
でもその一つ一つの過程、それに至るまでの答えなら分かる。
終わりがあるから始めることが出来る。
見方を変えれば始めたいから終わらせる。
荷造りをしていた時、
物1つ1つにしっかりと思い出があり、
普段は思い出すことのない、思い出すことの出来ない記憶で溢れた。
どんな物にも記憶が付き纏う。
そう思うほど、自分の着ぐるみは全て剥がされ、何もないただの人間、動物に思えてくる。
思えてくるのではなく、恐らく本当にそうなんだ。
不思議と色々大切にしなきゃと思う今日この頃。
最近実感するのは、
愛をもって接してくれる
支えてくれる人が沢山いるということ。
自分なりの答えで、
おんがえしを。
よいおとしを。
都会のビルの隙間から見える空は、
どこまでも突き抜けていて、
凄く自由で、
なんか優しくて
野球やったことないけれど、
ホームランを打った時のように1秒が長い。
突き抜ける空の先を想像するとそこには宇宙があって、
自分は今、地球にいるのだと自覚し、
自動販売機でジュースを買う行動がなんか可笑しく思える今日この頃。
『耳でみる絵本』の製作以外で言葉を文字にすることが辛く、
blogから遠ざかっておりましたが、また少しずつやっていこうかなと思います。
一年くらい前から
心理学を勉強しています。
主に発達心理学ですが、
それ以外の心理学も広く浅く。
計算された作品を製作するには必須で、
頭に合格ハチマキ、
夜食は鍋焼きうどん
的な感じでやっておりますが、
ふと
勉強って何だっけ
勉強ってどうやるんだっけ
となりました。
考えてみれば大学ではギター、音楽しかしなかったから、
10年くらいザ・勉強みたいなのはやっていない。
勉強していく中で、
見出だしたやり方が2つ。
①
無理矢理ギターと結び付ける。
これはめっちゃ楽しい。
譜面を観ながら弾くように心理学の参考書を観ながらギターを弾く。
捗るような
捗らないような感じですが、内容が完璧に頭に入る。
②
勉強で得た情報から日常生活での例を無理矢理作り、自分なりにまとめる。
例え話が好きなので、これまた内容が頭に入る。
でも、やればやるほど思うのが頭じゃなくて心に入らなければ意味がない。
幸せなことに心理学を仕事としている人が周りにいるので、引き続き頑張ります。
目指せ!誰かの笑顔。
偽善に満ちたこの言葉も心から思っていれば、
善でも悪でもなく
それはきっと夢だ。
それと真逆な殺したいという感情を生まれて初めて抱いた。
すぐにそれを箱にしまい込み重い蓋をした。
その蓋を開けることは絶対にない。
恐らく捨てることも出来ない。
けど、その箱があると何故だか真逆の思想が体中に溢れる。
なんか本当に色々不思議だ。
製作に行き詰まりまして、夜中1時に散歩を開始しました。
家を出た瞬間の開放感たるや凄まじく、
結果、朝6時まであてもなく携帯片手に歩いてました。
夜は暗闇ではなく、程よく明るくて、色んなことを思い出した。
昔、夜中に友達と飛行機見たくない?って話になり、
二人でバイクに乗り、適当に羽田空港を目指した。
迷いに迷って、明け方、やっと飛行場に到着した。
「こんなに飛行機ってでかかったっけ」
と笑いながらタバコを吸った。
次の日は爆睡で学校をおやすみした。
こんな想い出は沢山ある。
でも、目まぐるしく進む日常では思い出す暇もなく、ただ時間だけが過ぎる。
まるで
今までのすべてのことがなかったかのように
今を大切に生きる。
これしかないと思った。
成長したのか、次の日は爆睡せずに仕事をこなしました。
とてつもなく関係ありませんが、
以前行ったウクレレセミナーの様子がフジサンケイリビングのコラムで紹介されました。
http://mrs.living.jp/k_news/article/1937801
過去は確かにあるらしい。
近い未来の話をしますと、
Ole`o -ukulele-で
2015年7月25日
目黒川夜市での野外イベント
2015年8月18日
湘南T-siteでのインストアイベントがあります。
もう少し先の未来の話はおいおい。
絶対なんてものがないことは
なんとなく知っています。
言い訳が出来ない状態に追い込む為、
数年前、
数百万円するマリンちゃんを買った。
絶対的銘器をも
私は疑い、
何度もマリンちゃんのせいにした。
でも、
分かっていなかったのは自分なのだと
何度もマリンちゃんに教えられた。
瞬間的な思考では
今までの自分を証拠として
絶対○○だ
とか思ってしまうことがある。
昔、ミルク入りのコーヒーしか飲めなかった。
ブラックの何がいいんだ!
なんて思ってた。
今は逆で
ブラックしか飲めなくなり、
ミルクの何がいいんだ!
なんて思っている。
こうなってくると
すべてのことに
『多分』とか
『今は』とか
付けたくなり
確信が持てなくなる。
ふわふわする。
ただ、
自然と
周りの声を
意見を
素直に聴き、
受け止めることが出来るようになる。
流動的なスタンスで
いればいるほど、
真逆である自己は浮き彫りになり、
確信より大切な核心が現れる。
それは揺るがない。
最近、
チェロ、二胡、ウクレレなど
楽器を沢山買った。
なんやかんや
すぐギターに手を伸ばしてしまう。
きっとこれも死ぬまで揺るがない。
多分。
不自由と自由は背中合わせで、
今はその境界線を行ったり来たり。
そのラインに別れを告げ、自由ゾーンへ
寝る以外の時間全部使って
もっともっとギターと向き合いたい。
そう思うほど、
音楽はギターはやっぱし凄い。
きっと
自由は無心で
不自由は有心。
自由への招待状は
有心からの無心。
ワクワクさんを大切に
引き続き頑張ります。
P.S.
来週は
一週間泊まり込みでオレオ・ウクレレレコーディング。
素敵な作品目指し
頑張ります。
この数ヶ月。
色々なことが起きた。
言葉に出来ない悲しみがあって
全く寝れない日々が続いた。
「大丈夫だ。全然大丈夫だ」
と言い聞かせても
朝が来る度に
「いや、ダメだよ」
と自分に言われた。
人はこんなに寝なくても生きれるんだとビックリした。
そんな中、
ある人と出会い一気に世界が変わった。
導かれるように目の前に道が出来た。
今までの全てが伏線になった。
自分でいうのもアレだけど
頑張ってきた。
電気を消し
ベッドに入って
明日の為に寝ようとするけど
やっぱこれじゃ一日を終えれないと
ベッドから出て
電気をつけ
ギターと向き合った。
努力は報われないのは知っている。
けど努力なしでは報われないのも知っている。
このままじゃ終われない。
自分に出来ることを
自分にしか出来ないことに
良い報告を支えてくださる皆様に出来ますように
引き続き頑張ります。
動物園が逆だったら。
想像しただけで、堪らない。
沢山の正しさがあり、
それらは同時に沢山の矛盾を抱えながら、
正しさを主張する。
客観視などは存在せず、常に主観の中に客観はある。
私の主観。
私たちの主観。
国の主観。
世界の主観。
地球の主観。
宇宙の主観。
矛盾はある主観の正さの上で成り立ち、正さが違えば矛盾も違う。
小学生の時あった道徳の授業。
当時は、なぜやるのか意味が分からなかった。
楽な授業でラッキーといった感じ。
今では他のどんな授業より大切だと思ってる。
けど、誰かに教えてもらうような
いわば、
洗脳のようなものではけしてない。
誰かの意見に賛同し、歩くことは容易。
これは自分の意見ではなく誰かの意見。
正面から押し寄せる人混みに向かうとき、
前にいる誰かが歩いた道を歩く時のように、容易であり、何の意思もない。
意思の着ぐるみをきた無意思。
自分が自分に対し
シュプレヒコールをし続ける。
これが
人が人を志すことだと僕は思います。
関係ないけど、
哀しいことや嬉しいことがあった時、
心はどこにあるのか分かる。
ギターを弾く時も同じような現象が起き、
心の場所、居場所はわかる。
自分の場合は
人間県 肋骨町 下の上の奥
って住所っぽい。
私には兄貴がいまして、物理学者です。
海外で働いてますが、お正月に帰国し、お土産などを貰いました。
2週間くらい日本に滞在していたみたいですが、
会ったのは全部まとめても10分くらい。
THE 照れなのかいなか。
お土産は、何につけたら良いのか分からないドギツイキーホルダなどなど。
(ウクレレケースに付けました)
そのドギツイーズの中の一つに本がありました。
全て英語。
表紙の情報から
著者は兄貴であり
宇宙的なもしくは空間的な話であることがなんとなく分かりました。
あとは全くわかりません。
中身は数式と英語のエレクトリカル・パレード。
さすが、ドギツイーズ。
Amazonで買うと16000円する。
うまい棒が1600本買える!
さすが、ドギツイーズ。
同じ家庭に生まれ、
育ったのに、
当たり前っちゃ当たり前だけど、
全く別の世界の住人。
本の内容は恐らく死ぬまで分からないけど、
この本が持つ意志は、情熱は分かる。
昔からゾンビ映画が好きです。
大学の時、
TSUTAYAのゾンビコーナーを端から
毎日1本ずつ借りてました。
TSUTAYAストックコンプリートがまじかに迫った時、
いつもいた深夜バイトの男性に
『そろそろですね!』
と言われ、
マイベストハニカミをかました記憶は、なんか切ない想い出。
TSUTAYAといえば
来月、六本木ヒルズのTSUTAYAで演奏します。
詳細はおいおい。
ゾンビ映画の魅力の一つとして、
『制限』
があると思います。
そうですよね?先生!
そうじゃな。
ここからはわしが
ゾンビン博士が説明しよう。
佐藤くんが言った通り、
ゾンビワールドでは
様々な縛りの中で生き抜く必要があるのじゃ。
食料や弾薬を確保しながら、
安全な空間を死守せねばいかんのぅ。
じゃが、やがて気がつくじゃろう。
安全な空間など
この世界にはないのじゃと。
『え~じゃ~どうしたらいいの?』
佐藤くんがそう思うように、ゾンビワールドの人間も同じことを想いながら、
不自由の中で自由を得る戦いをしているのじゃ。
『え~、そんな世界辛くて生きれないよ~(:_;)』
おい、佐藤!
一回目は、見逃したが
今はわしのコーナーじゃ!
ソロじゃ!
口出しするな!
じゃが、良い意見じゃ。
人間を捕食対象としているゾンビは、言わば天敵じゃ。
天敵がいる世界で
生きることはとても大変じゃ。
常に死と隣り合わせじゃ。
きっと若造佐藤は、
『生きた心地がしないよぉ~』
などと言うじゃろな!
じゃがな、死と共に生きることこそ、生きるということなのじゃ。
わしはそう想うのぅ。
自然界をみてみるのじゃ。
天敵と共に生きておる。
彼らは生きておる。
ゾンビワールドの人間の大半は天敵であるゾンビを倒し、天敵のいない世界を言わば自由を得ようとする。
なぜ、
我々が神と呼ぶモノは
人間の姿をしているのか。
軟弱佐藤の住む世界では、もはや人間は神じゃな。
『博士!話が脱線しすぎて、なんの話かわからないよ~』
あっ!すまん。
成長したな、佐藤。
こういう合いの手はよいのじゃ。
わしが言いたいのは、
佐藤!
危機感が足りな過ぎるぞ!
と言うことじゃ!
『え~!でも現実世界ではゾンビいないよ!どうやって危機感を持てばいいの?』
卒業じゃ!佐藤。
ナイス合いの手じゃ。
佐藤は、体に悪いのにタバコを吸うじゃろ!
タバコを弾薬に置き換えればよいのじゃ。
残り数発しかない銃
↓
残り数本しかないタバコ
=危機感
となるのじゃ!
タバコの本数を気にする度に、サバイバル感満載じゃ。
『えー!でも、セブンに毎日寄るし、そこでいつも買うから…』
バカもの!貴様は留年じゃ!出直せ。
そんなんじゃから、昨日スイカにチャージした1万円がもうないのじゃ!バカモノ!
といったかんじで、
なんの話か分からなくなりましたが、
今年も宜しくお願いいたします。
年末に秋田のお寺でレコーディングがありました。
今まで音楽を音を空中に放つ
というか置く感覚で
プレイしていましたが、
考えが変わりました。
空中ではなく水中に近い。というか空中にある水中。
寒かったけど行って良かった。
今のままでは全然ダメだ。
もっと上手くならないと。
というよりか
上手くなりたい。
それが自分にとっての自由です。
夜の電車の窓には車内が映ります。
映し出された車内の窓に映し出される車内も見えます。
更には、
外の景色も見えます。
外と中と中の中の景色。
見ていると何故だか
自分の中が静かになる。
そんな中
映し出された車内に
あるカップルがいた。
男の人はまるで明日をみているかのように
めちゃくちゃいい姿勢で正面を見ている。
女の人は
海藻なのか!
と言いたくなるほど
フニャっとなり
男の人に寄り掛かって寝ている。
顔が男の人の首にくる感じで
バンパイアと化している。
女の人の手は
男の人の手の上。
よくある光景。
そう思っていたら、
あらビックリ!
男の人は女の人に
ホテルマン並の気を遣いながらゆっくりと立ち上がり、電車を降りた。
女の人は全力で平然を装いながら、スマホをイジリだした。
『他人かい!』
っと心で叫びました。
結構叫んだので体も心も揺れた。
そんな無言の叫びと揺れの私と偽カップルの一部始終を見ていたサラリーマンが、
ニヤリッと笑っているのが窓越しに見えた。
なんかよく分からないけど四次元はきっとこんな感じだ。
ギターにいかそう
無理矢理いかそう
不思議なことがあった。
朝早く起きて、譜面を書こう!
根拠のない自信を胸に
3時にベッドにダイブ。
目覚ましは
5時~6時の間、5分おきに鳴らす作戦にした
結果、家を出ないといけない8時に飛び起きました。
目覚ましが鳴った記憶が全くないから
罪悪感なし。
こういう時って、
なぜか冷静にタバコを吸ったりするから、不思議のアッコちゃん。
んで結局、
譜面は電車の中でやることに。
電車に乗ると2つ席が空いていた。
優先席と普通の席。
なので、ほぼ1択で
ノーマルシートにお邪魔することに。
関係ないけど、
スマホが普及し始めてから、みんな優先席でスマホを平気でいじっている気がする。
携帯じゃなくて、スマホだから
みたいな言い訳なのか。
扉から席に着くほんの数秒で一気に目が覚めた。
空いている席の隣に祖母がいた。
いやいや、完全に亡くなった。
焼かれて骨になるのをみたし、その骨はこのギターケースの中にある。
でも
めちゃくちゃ似てる。
おどおどしながら
席に座ると、
ニセ祖母は自分に話し掛けてきた。
(この言い方失礼)
音楽を聴いていたから、
イヤフォンを外し、
『なんですか?』
とニセ祖母に言った。
『ギター弾きの方ですか?』
声まで似てる。
『頑張ってくださいね』
とアンドロイド祖母。
似てるうえに話し掛けられておどおどしながらも、
やらなくてはいけない譜面書きをやることに。
30分くらい経過し、ある駅に着いたら、ターミネーター祖母がまた話し掛けてきた。
イヤフォンを外し、耳をかたむけるが
声が小さすぎて聞き取れない。
しかも、結構しゃべっている。
リュックにあるコンサートチラシを思い出し、
『あの、もし良かったらコンサートあるので、来て下さい』
とリュックをあさりながら言った。
自分の声が小さ過ぎて、
ドッペルゲンガー祖母は聞き取れず、
こちらを観ながら、電車を降りていった。
なんて言っていたのだろうか。
気になる。
でも、聞こえなくて良かった。
心から
頑張ろうと思った。
色々な方々から
『時間を売る職業ですね』
と言われます。
(この言葉だけ聞くとなんかSFだ)
そうですかねぇ
と初めはピンとこなかったが、最近、本当にそうだなと思い始めた。
音楽の中で過ごす時間は
日々は
本当にあっという間。
時間軸がかなり歪む。
ミュージシャンの方々が若く見えるのは
きっと過ごしている時間があっという間に過ぎ去るから。
その分歳をとらない。
1時間が体感的には
30分くらいに感じてしまう。
100歳の時に50歳。
人生は短くて尊い。
生きることを
一瞬を
もっと大切に
そうやって生きれたら
きっと最高だ
雨も晴れに変わる。
と想う日々の中
新宿駅のホームで気を失いかけた。
きっと
寝不足と貧血とご飯食べ忘れたからだ。
歴代TOP3に入るくらいやばくて
あぁ~死ぬ
と本当に思った。
気を失ったら
白目になるのだろうか
泡とか吹くのかな
と
気を失いながら思った。
人生最後の思考がこんなのは嫌だ
と必死に堪えた。
「やらなくてはいけないこと」
「やるべきこと」
「やりたいこと」
3つを共存させるには
1日は短い。
体力が足らなすぎる。
そんな日に限って
天気は最高に良い。
帰り道、
下を向きながら歩く女性がいた。
向こう側から男性が歩いてきた。
すれ違う瞬間、2人は手を繋いだ。
お互い、他人オーラ満載だったから、ビックリした。
二人は、有り得ないくらい繋いだ手振っていた。
なんか人間はシンプルなんだと思った。
色々便利になり、色々複雑になるけど、そう見えるけど、
シンプルなんだ。
振りかぶろう。
10日程前。
メダカなんちゃらっていうDoCoMoのアドレスから
『件名』
詐欺にあったんだ
『本文』
詐欺の立証不可能に近いね 実際 に詐欺罪になるかどうか判らないし
ってメールが来た。
一瞬、登録し忘れた友達かな
って思ったけど、
本文の実際という言葉の後にあるスペースが気になった。
もしや、また詐欺か。
甘いぜ、メダカ!
と
勿論、返信はせず。
んで今日。
メダカからまたメールが来た。
『題名』
佐藤様に総額8300万円を差しあげます。
『本文』
富川と申します,突然のご連絡お詫びします,
折り入ってお願いがございます・
十年前から香港で貿易関連の会 社を経営して おります。
東日本震災の際もこちらで仕事をしておりました。
すぐに 帰国して何か出来る事をと思っていましたが、あの状況で、すぐに帰国する事も出来ず、こちらで残 念な気持ちで日々を過ごしていました。
日本にいなくても 出来る事を思い、今は毎年の売上の一部を被災者の方への寄付活動を行な っております・
しかし今回、日本でいう 所の損 金算入の限度を超過した為,およそ8300万円程の送金が不能となり,上海に御 座いますメインバ ンクにて送金の流 れが全て停止状態となってしまっております。
香港内にて処理 済の為、こちらに戻すと外貨収入扱いとなってしまい高額な税金 等が掛かっ てしまいます 。また、日 本以外の国へ送金すると不正送金になる可能性が非常に高いとの事で、送金がストップしてしまっております。
メインバンクか らは、本件処理が完了しない限り他の送金もメインバンクでは行えな いという事で現在業務に支障をきたしてしま って お ります。
その為、社内 協議の上、佐藤様 へご送金するの が一番得策という
結論に至 りました。
速やかに解決す る為 こちらで税 務申告を済ませた上で、以下の様にご送金をしたいと 考えております。
8300万円を二回に分けて送金します。
まず初回送金1300万円の後 翌日に 残金7000万円を送金致します・
合計8300万 円は二日 以内に全額お手元の口座に届くという形になります.
また、送金の際にはこちらで税務処 理等必要な事を 全て済ませ てしまい ますので
,佐藤様が税金 を支払 う事や申告するという面倒 な作業もありませ
ん。
お受け取り頂くという ことで私共も助か る話 ですので、どうか快くお受け取り頂けないでしょうか?
良い お返事頂けると幸いです・宜 しくお願い致 します
とメールが。
いやいや、メダカ。
無理だよ、さすがに。
内容は一先ずおいといて
宜しくの宜の後にスペースは、
ヨロッしく。
ってなっちゃって、
あら、疲れてるのかしら
と心配するわ、ワタシ。
携帯をいじいじしたが、
メールの拒否の仕方が分からない。
Welcomeメダカ状態だ。
世の中がスマホにしろ!と圧力かけてきた時、
いやいや、そういうのは自分の意志で決めたいから
と流れに逆らってましたが、こんな理由でスマホになるのか!
新しいカパカパ携帯にすれば良いのか!
でも、スマホ便利らしいし。
いやでも…
にしても、
なぜ携帯のアドレスに
詐欺メールが来たのか
不思議のアッコちゃんだ。
しかも、楽器詐欺の中国人グループがメダカだったなら、
最初に来た
『詐欺にあったんだ』
ってメール、かなり喧嘩売ってる。
と書いている今、またメダカからメールが来た。
『件名』
佐藤さんのGOサインがでた後
『本文』
富川です.先程からのご連絡の中で一部文字化け等があるかと思います,海外から な上に日本語用のキー ボードではないので、うまく変換されていない場合があり , 読み辛いかと思いますがご理 解下 さい
震災後より寄付金を送金しておりますが、今回日本国内損金算入限度を超過し 上海のメインバンクで8300万円程が送金不能 となり停止となってしまいました。
既に香港で処理してしまっ ている 為、こちらに戻すと外貨収入扱いとなってしまい今回の経営計画に大きな誤差が生じてしまいます。また メインバンクで停止している状況 で , 本来の業務に利用する送金等も行えな い様に なってしまっております。
既に社内では 佐藤様へご送金する事を決 定しており、すぐに送金を
行い一刻も早く本件を処理したく再 度のご連絡となります。
後々でトラブルにならない様、専門家立会いの上、税務申告もこちらで済ませます。
佐藤様の手元に入る金額の内容は以下の通 りです
≪総額送金:8300万円≫
初回送金:1300万円
残高送金:7000万円
※初回送金完了の翌日に残金7000万円を振込みいたしますので二日以内に全額をお手元の銀行口座にお振込します。
こちらで処理を済ませて しまいますので、佐藤様に税金が掛かる 申
告 義 務等も発生致しません.
どうか私共を救うという事でこの83,000,000円をお受け取り 頂けないでしょうか?
是非良いお 返 事頂けませんか?
メダカ、
GOサインって表現はないと思います。
アクションは起こさないけど、
この状態からどうやって詐欺に持って行くのか、
凄く気になる。
P.S.
最近は
文書いてギター弾いて
文書いてギター弾いて
な日々です。
色々な方に助けてもらいながら
頑 張ってます
遡ること10日前。
製造中止になった楽器が
驚きの値段で
『楽器 サウンドハウス』
という通販サイトにあった。
いつもお世話になっておりますサウンドハウスさんとは全くの別モノだと
その時気が付いたが、
まぁ~大丈夫だろうと
カートに入れ、購入手続きへ。
支払い方法がなぜか銀行振込みしかなかった。
まぁ~大丈夫だろうと…
まぁ~大丈夫だろうと…
まぁ~大丈夫だろうと…
私、詐欺にアイマシタ。
失いました。
人間って切ない。
お金はまた稼げば良い。
ただ
今からギターを始めようとしている夢みる少年がこの詐欺に引っ掛かったら…
きっとお金より大切なモノを失う。
憎き会社の情報です。
(c) 2014 楽器 サウンドハウス
会社概要
株式会社 : 木下オンライ株式会社
所在地 : 602-8117 京都府 京都市上京区 黒門通下長者町下る吉野町 696番
店舗運営責任者:木下 健
事業内容:小売業オンラインショップの企画 製作 運営
TEL:075-702-1434
店舗連絡先:Email:service@electricguitarjp.com
会社URL:http://www.electricguitarjp.com
会社の設立:2005年8月
資本金:8000万円
従業員数:68名 (2012年9月30まで)
取扱商品 : 家電製品、オーディオ製品、情報製品、オール電化、太陽光発電ほか家電総合店が取り扱うであろう商品・サービス
季節の変わり目の風の強い日、
色々なモノが宙を舞っている。
羽的なやつ
葉っぱ
ゴミ
花粉
夢
希望
挫折
後悔
などなど。
落下には美学があると思う。
時間の経過と共に落下するはずなのに、時間が止まっている感じがする。
自分、地球、周りが浮き彫りになる。
全てが全てを受け入れて
落下する。
その着地点への過程が美しい。
仮に着地点がない落下があったら、
こりゃ~も~色んな意味で辛い。
逆に上昇、打ち上げには
自分の意思、エネルギーが必要だと思う。
音楽にも落下はある。
もちろん上昇も。
着地点を見つめ、
その終わりに向かって、
自分と周りと地球を受け入れ、自然体で落下する。
終わりは始まりだけど、
その時は終わりしかみていない。
けど、終わりからまた始まる。
歩く1歩1歩みたい。
瞼が落下しそうだけど、
やることやろう。
落下落下ばかり言っているとなんか自殺の文章みたいだけど、
文字的には合っているかも。
自分を殺すことは
自分を生かすことなのかもと
なんとなくそう思う。
落下の美学にはそれがある。
眠い。
細かいことを言えば
起きる瞬間がこりゃ~も~眠い。
起きてしまえばダイジョーブイ。
ただ起きる瞬間は、本当に眠い。
起きる時間に関係なく眠い。
自分じゃないみたいな人格が厄介だ。
仮に野口君としよう。
野口君は携帯の目覚ましをすぐに止めるし、
しかも30分後に鳴る予定のやつまで、全て消す。
昨日の夜、私がちゃんと計算してセットしたのに、彼ったら。
んで、起きれる保証など何もない中、キリがいいようにあと12分寝ようなど言う。
困ったヤツだぜ。
昔、起きた瞬間にフルテンのマーシャルをストラトで掻き鳴らす。
ってなんかカッコイイんじゃないかと思い、夜セッティングして寝たことがあった。
エレキプレーヤーなら分かると思うが、触った時のノイズで大体の音量がわかる。
かなりやばいと思いつつも、一瞬ならいいかと
好きなコード
E7(#9)
を弾いた。
音量のでかさにひき、
まぁいいやと思った過去の自分にもひいた。
更には夜にニヤニヤしながら、セッティングしてた昨日の自分にもひいた。
けど、この時、野口君は現れなかった。
冷蔵庫にイチゴがある朝も野口君は現れない。
何故、最近眠いのか理由は大体分かっている。
1つは疲れているから。
でも、これはしょうがないこと。
やれるだけやってみようと決めたから、しょうがない。
問題は2つ目。
日々に飽きた。
毎日シャワーを浴びる度、
繰り返している感が凄くて、なんか全部がつまらなくて、冷めた感じになる。
一人世にも奇妙な物語状態だ。
性格上、変化しないことが嫌いだから
これもある程度はしょうがないことだけど、
ただ、
冷蔵庫にあるイチゴのように、
フルテンのマーシャルのように、
日々を輝かせるのは、
他の誰でもなく、自分だ。
始まれば終わる世界だけど、繰り返しではないように。
そういられるように
ギラギラした目で、
生きよう。
さらば、野口君。
最近、
電車や街中で赤ちゃんとよく目が合う。
いつも思うのだが、
赤ちゃんは目ではなく目の奥を見ている。
全てを見透かされている感じがする。
やっぱし笑った顔が見たいから
色々と変な顔をして
アピールするけど、
赤ちゃん微動だにせず。
もちろんワレヘコム。
へこむのが怖いから、見ているの分かってても、
わざと知らないふり。
でも、結局見ちゃう。
んで変な顔して、無視されて、またへこむ。
そんな日々の中
ある仮説を立てた。
赤ちゃんに
もし、
見透かす力
『ゴットアイ』
があるのであれば、
心の声も聞こえるかもしれない。
たしかに、
変な顔をした時は
周りを気にして、
全力でやってなかったし、
色々考えながら、
片手間に変な顔をしていました。
そりゃ、
俺だって片手間でやった変な顔じゃ笑わない。
恐るべし、ゴットアイ。
でも、全力の変な顔も意外に大変だ。
だから、
(赤ちゃんにはゴットアイがあり、心の声が聞こえるかも。この場合はゴットイヤーか!)
という
仮説に希望を託し、
心の中で
今日
『お願いだから、ちょっと笑って』
と真剣に頼んでみた。
結果、目を逸らされた。
本当に心の声が聞こえるのかもしれないと思った。
最近、夜、薄目で歩くのがマイブームだ。
そうすると街の街灯は、淡い光になり、蛍みたいになる。
川に映される街灯のように、淡く心地よい。
やっぱし、何かを通して何かは伝わる。
なぜ、赤ちゃんはかわいいのか。
その答えを知っているけど
残酷な理由だから、
脳から消してほしい。
これがこうだから、
こんな感情を抱くんだ。
そんなこと全て無視して、素直に感情だけと付き合いたい。
けど、感情をコントロールするには、
感情までの過程を理解しないとだめだ。
これは残酷。
どうしても、それがいやだから、模索するけど、結局はそれに戻ってしまう。
でも、
最近はそれで良いのだと思いはじめた。
理屈を越えた世界は
理屈を越えてやってくる。だから、
理屈がなければ、
理屈を越えることは出来ない。
心と体とギターが1つになった時、
きっと時間軸は消え、
理屈も消える。
最近、
FamilyMartの明太子マヨネーズおにぎりにはまってしまい、そればかり食べていました。
高校の時にはまったバニラヨーグルト以来だ!
ほっぺが落ちたあの感動が、失われることはなく、
食べる度に、ほっぺが落下します。
酷い時なんか、一日それしか食べなかったりした。
でも飽きない。
食に対してあまり興味がない私が、
コンビニ入る度にウキウキしてた。
そんなある日
身体に蕁麻疹が出た。
現実は残酷だ
昔から
カサブタが出来たら
必ずとってしまう。
ササクレが出来たら
必ずとってしまう。
周りから
『とるな!』
と言われるが、
「そうだね」
と言い、
誰も見ていない時にとってしまう。
そうすると必ず血が出て、
触れるものが全て凶器になる。
些細な事が痛い。
たった一枚の皮で、 守られている守るべきものは弱い。
心も同じだ。
「心を強く持とう」なんて良く言うけど
「心の皮を厚くしろ」だと僕は思う。
自分は薄皮くらいで調度良い気がしてる。
そんなこんなで
なぜ信号の止まれが赤なのか、
ササクレを引っこ抜いた今日、納得した。
この季節の夜中、
外の音が聞こえるか聞こえないかの音量で
好きな音楽をイヤホンで聴き、
誰も使用しない信号と雲を見ながら、
ガードレールに座り、タバコを吸う。
雨上がりだと
タバコの煙りはすぐ上には昇らず、水分を沢山含んだ空気のせいで停滞する。
この感じが堪らなく好きだ。
大学4年の時、
授業が終わり、
空いている部屋でギターとピアノと歌で遊んで、
自分の家には帰る気など起きずに、
友達の家へと皆で向かう。
今みたいな季節の日、
自然とみんな無言だった。
俺は就職活動はせずに、
ギターと生きていこうと
その時ちゃんと決めた。
多分、友達も色々なことを思いながら
無言で歩いていたのだと思う。
とにかく自由になりたい。
ギターを弾く理由も
自由になりたいから。
今日
終電に間に合うのに
わざと終電を逃した。
たったこれだけで、
何故か少し自由になれた気がする。
そして、自分と向き合う時間が生まれる。
それにしても
信号って意外にデカイ
人には何故翼がないのか
人には何故ヒレがないのか
人には何故触角がないのか
詳しくは全然わからないけど、
進化
と
生きる
にはかなり密接な関係があると思う。
死なない為に変化する。
そうするとさっきの3つ
死と生だけみれば、
人間には必要ない。
がしかし、
触角だけは絶対に必要だ。
人は人を殺す。
肉体的な場合だけのことではなく
精神的にも。
その為に恐らく人は進化し、
五感+第六感を総動員して目に見えない心の触角を創り出し、危機を回避していると思う。
そもそも目に見えるものなんて、ごく僅かだ。
細かな言動などから
色々ヨメル心の触角は
もろ刃の剣。
だから、きっと無関心が生まれた。
この触角からの音への変換
目指すべきものがはっきりと見えた日でした。
とりあえずカゼナオレ
(カタカナにすると呪文みたいだ)
また、風邪ひいた
そんな自分にひいた
なんかやばいなぁと思い
熱を計ると 39.0
9がひっくり返って6になれ
と心で叫び、祈り
栄養ドリンクとインフルの時に余った薬に希望をたくし、
とりあえず寝たが
朝になったら 39.6。
色んな意味でひっくり返ったが
しょうがなく、
レッスン、リハ、打ち合わせなどをキャンセルし、
病院へゴー。
病院では、まさかの5時間待ち。
忘れられたのではないか、いや、そんなはずない。
だってあの時、彼は私に愛していると言ってくれたわ。
いや、でも彼にはアリバイがない。
でもこのトリックならアリバイが作れる。
いや、でも特命係の杉下さんにばれて……
と一人葛藤しながら、
しょうがなく待合室のつけっぱなしの半強制テレビで
相棒ではなく
相撲中継を震えながら薄目でみてた。
生まれて初めて相撲中継をちゃんとみた。(薄目だからちゃんとじゃないか)
不思議と力士ではなく観客に目がいく。
何かしらの力が働く感じの人が最前列に沢山いたが、
常に睨みを効かせながらカメラを見ている人がいて、
かなり気になり、その人ばっかりみてた。
その人の隣には、多分、その人の上司的、親分的な人がいた。
力士が場外に投げ飛ばされた時、
席からかなり離れているのに、睨み効かせマンは結構逃げた。
親分は微動だにせず。
これから先も睨みつけるのは自分に対してだけにしようと思った。
そんなこんなで
月1のペースで39度クラスの風邪をひいてる。
しかも、振り返ってみると体調が悪くなるのが決まって日曜日ということが分かった。
恐らく毎日 月曜始まりの手帳を見ながら生活しているから、
ひと区切りついた感じのする日曜日になると気が緩み
ウィルス・ウェルカムパーティーになるのだろう。
人生で1番風邪ひかないように努力しているのに、
ひいてしまう。
ので、出来ることは
ただ一つ。
祈ること。
祈りは簡単そうで、いつでも誰にでも出来そうなことだと思っていたけど、
多分、そんな簡単なモノじゃないのだと感じた。
明日は海で撮影。
死なないように頑張ります。
口内炎が治りかけた日に
インフルエンザBになった。
クリスマス前に
インフルエンザAになった。
毎日マスクマンだったし、
手洗いうがいが 趣味です と言ってもいいくらいアライグマンだったし、
なぜ、インフルエンザになったのか。
今後
どうやって予防したらいいのか分からなくなった。
免疫力が無さすぎるのかなぁ。
そんなこんなで1週間近くうなされ、
自分の鼓動でベッドが揺れておりました。
そんな中、沢山の夢を見た。
高校の時、初めてバイトしたお好み焼き屋の夢。
夢から覚めたら、
家電が鳴り響いていた。
初めてのバイトの時、
接客中に鳴った電話をなんの躊躇いもなく出た。
怒られた。
今では怒られて当たり前だと思うけど
その頃は、それまでの家という世界では、それが普通だった。
時は流れ
今では、家電は絶対出ない。
訃報かもしれないから。
あの呼び出し音、嫌いだ。
記憶の引き出しは
探してもいないのにふとした瞬間に開き、
頭の中の右側にその風景を映し出す。
その色彩感は淡く、僅か1秒程で消えてしまう。
その淡い1秒が感情だと思う。
音に乗せる色もそこからしか選べないと思う。
少なくとも今の自分では。
早く風邪治して、
沢山考え、感じながら生きようと思った。
全然関係ないのですが、
薬の副作用。
音が半音下げに聞こえるとかは経験あるが、
今回、爪が巻き爪になるというのが起きた。
爪が命のギタリストにとって、かなり困ってます。
薬を飲む時は、辛い時なのだから、
副作用が嬉しい薬はないのかな?
飲んだら、
身長伸びるとか、動物と話せるとか、空飛べるとか。
でも、そうなると、お菓子のおまけみたいな運命になりそうだ。
夏の終わりと秋の始まり。
毎年、訪れるけど慣れないなぁ。
心が壊れちゃう感じの切ない空気感
クラシックギターの音が本当に合う季節。
この切なさに関しては論文を書けるくらい普段から考えておりまして
私の持論では2つ要因があります。
湿度と時間軸。
詳細は作家デビュー処女作で。
んで
音楽にもこの2つは大切だと思います。
音にも湿度はあると考え、
湿度が低いと切なく聴こえる。
枯れているってやつですかね。
逆に湿度が高いと元気というか
ぬくもりがあるように聴こえる。
ふくよかってやつでしょうか?
時間は常に流れるけど
心は簡単には流れずに、
時間を追っかけたり
追い越したり、寄り添ったり。
この心の時間軸と音楽が持つ時間軸。
これが似ている
というか
私にとっては同じだ。
だからこそ、意思のある音を弾きたい。
友達から送られてきたデモ音源。
飛び込んできた最初の歌詞が
「探していたもの見つけられたかい?」
グサっときましたが、
存在するモノより
存在しないモノ
もしくは、
存在するか分からないモノ
を探してるし、そっちのが好きだ。
それに、手にした瞬間、手放してしまうモノが怖い。
むしろ、その時手放してしまうモノが一番探していたモノだと思うし、
その事に気がついているけど、見てみないフリをしてるというか。
仕事の帰り道、なんとなく空を見ると
黒い紙に黄色い紙の円を貼り付けたような月があって、
なんか全部が嘘っぽく感じた。
でも月は存在する。
そんな現実が心地よい今日この頃。
「Science & Cocktails」
という南アフリカで行うイベントに
ギタリストとして参加します。
詳細はおいおい。
お久しぶりです。
「お久しぶり」といえば、
この間、街中で偶然友達と会いまして、というか目が合いまして
どっちからでもなく
「おっ、お、お~久しぶり!」となりました。
その友達は知っているけど、そんなに仲良くなかったし、
10年くらい会ってない人です。
彼は
「おっ、お、お~久しぶり!」とほぼ同時に
ラッパーの方がよくやる 手での挨拶(右手で引っ張ったり、握手したり、なんやかんやするやつ)を繰り出してきました。
もぉ~されるがままといいますか、旅行先でやる「○○体験」みたいに身を委ねました。
そのコンボのあと「facebookやってるでしょ? 今度呑みに行こう」
と彼は言い、わずか5秒くらいでバイバイ。(いや、この場合はBey Beyだ!)
俺はツイッターもfacebookもやってないし、連絡先も知らないのだけれど・・・、
などは言えるわけもなく。
でも、もはやそんなことはどうでもいいと思えるくらいの完璧なラッパー挨拶エスコートでした。
社交ダンスをかなり上手い人と踊っているかんじというか、ある意味優雅というか。
勉強になった。勢いのあるものにはエネルギーがある。
そんな勢いのあるエネルギッシュな彼とは逆に、
私は
俺の右手の爪かなり長いし鋭いし、痛くなかったかな?
とか
てか、爪大丈夫かな、割れてないかな
とか
なんとも女々しい感じでした。
そんな感じで日々 自分には負けてたまるか と頑張っております。
色々の事があり、それはすぐ過去になり、その時の想いは薄くなり、
なんかたくましいというか切ないというか。
きっと生きてく上で必要な人間の適応能力なんだろうなぁ。
でも音楽や声、匂いはいきなりその過去の想いをフラッシュバックさせる。
いい意味でも、悪い意味でも。その感じが人間らしくて凄く好きです。
そんな中、最近思ったことがあります。
誰かを幸せにしたいと思った時、
まずは自分が幸せにならないと、
誰かに幸せは与えられない。
と前までは思っていました。
けど、最近なんか考えが変わりました。
というか
何かを成し遂げたい時、その真逆の事を成し遂げる
という考え方は変わっていないのですが、視点が変わりました。
自我を捨てて誰かの幸せを望む。これが自分の幸せに繋がる。
目的が誰かの幸せという点は変わらないけど、プロセスが確実に違う。
自分の幸せ=誰かの幸せ ならば
自分の幸せを成し遂げる為に、その逆の 誰かの幸せ を成し遂げる。
それには、目的の自分の幸せ、自我を捨てる。
なんかエンドレスになりそうな感じですが、個人的にとてもシックリきてます。
そんなお坊さんみたいなことは難しいけれども、音楽ならできる。
上手くみせよう とか オラオラ凄いだろ とか 感動するだろ とかではなく
自我を捨て、聴いてくれる人のことだけを考える。
最近大切な人がなくなり、その人の遺影の前でギターを弾きました。
その人が好きだった曲を。
その曲を弾いた途端、ある男性は泣きました。
彼はお葬式でも出棺の時でも泣いていませんでした。
むしろ笑顔を周りに与えていました。
きっと奥に仕舞い込んだモノがいきなり飛び出したのだと思います。
音楽の在り方は色々あるのだろうけれども、
確実にこれも音楽の在り方というか役目というか力というか。
そして、この瞬間、
上手く弾こうだとか、テクニックがどうこうとかは、どうでもいいということ。
(上手く弾けることに越したことはありませんが)
そんなこんなで、
一人前になったら連絡すると約束した尊敬しているギターテックの方に早く連絡できるように、とりあえずガンバリマス。
全然関係ないのですが、さっき友達に
「12月22日に世界が終わるらしいのだけれども、23日の為に音楽やらない?」
とメールしました。意味ありそうで全く意味のないパターンのやつです。
そしたら友達は
「滅んじまえ、滅んじまえ! やろー」
と返してきました。
なんか凄くイイ!!!
先日、いきなりぎっくり腰になりました。
過去に一度なったことがありましたので、セカンド・ギックリです。
ファースト・ギックリは大学の時でした。
友達と
「学校のベンチを持って帰ろう」
ということになり、二人で持ち上げようとした瞬間のギックリでした。 ビックリでした。
最近、その友達と会いまして、
「実は俺まったく力入れてなかったんだ。洋平の顔が真っ青になっていくのをみたら、
言えなかった。」
と言われました。
ベンチは地面と固く固定せれていたし、
友達は持ち上げていなかったし、
ぎっくり腰になるし
というぎっくり腰評価委員会では最低ランクと評価されるであろうギックリスタートをきりました。
少し話が逸れますが、
その友達(彼)の弾くピアノは、音楽は、なんというか過去の切なさの塊というか、
僕はとても好きです。
僕はギターしか分かりませんが、自分よりうまい人は沢山います。
上を見たら、首が痛くなる感じだと思います。
野心はありますし、コンチクショウーと思いますが、
ただ、言えることは、そんなことは音楽をやめる理由にはならない。
よりうまくなることは大切だと思いますが、なんでうまくなりたいかが重要というか。
そこから音楽を望みたいというか。
例えば音楽を言葉とした時、
聴き取りやすく、話し方の上手なアナウンサーが話す戦争の体験談と
実際に戦争を体験した終始かみかみのおじいちゃんが話す戦争の体験談。
どちらのが心に届くか。
「戦争を体験したアナウンサーが一番伝わる」とかいうある意味斬新なことも浮かびますが、
僕は後者だと信じたい。
話す技術はとてつもなく重要だと思いますし、
何かを伝える人の義務でもあると思います。
けど、それらを超える何かが重要というか。
友達の彼よりピアノがうまい人は沢山います。
大学卒業と同時に彼よりうまい人達の多くは、音楽をやめました。
ここでのやめるは、
きっぱりピアノをやめると
プロを目指すのをやめる
の二種類あると思います。
でも
「みんなうまいなぁ~」が口癖の彼は辞めなかった。
家の都合で一緒に音楽ができなくなって、
休みがほとんどない今でも彼はピアノをやめてません。
むしろ、より求めているというか、少年のままというか。
どちらが偉いとか賢いとかそんな話ではないのですが、
彼がピアノを続けていることは、僕の支えでもあります。
話を戻しますが、セカンド・ギックリは何もしていないのにいきなり訪れました。
腰を90度曲げないと、激痛がはしる状態でしたが、仕事を休むわけにはいかないので、
三角定規みたいな感じで頑張りました。
そこであることに気が付きました。
僕は普段、鼻で呼吸します。
しかし、セカンド・ギックリの時は、なぜか口呼吸でした。
このことに気が付いた時、今までの色々な点がいっきに繋がりました。
なぜ、楽器を弾くときに姿勢が大切なのか
なぜ、管楽器ではないギターにも呼吸が必要なのか
など自分の中にあったものがキレイに1つになりました。
と同時に
どんなことがあっても、何か意味がある。
それをキャッチできるかは、自分次第なのかなとか思いました。
でも実際、本当に辛いことに遭遇したときは、キャッチどころではないんだろうなぁ~
あ、題名の
0~20=21~80
なのですが、ピアノの友達からあることを聞いて「うぁ~~」と思った数字です。
色々端折りますが、年をとる程1年があっという間に感じる現象には、
ちゃんとした根拠があるらしく
それを計算すると
生まれてから20歳までに感じた体感時間と21歳~80歳で感じる体感時間が同じ!!
というコワイ話です。
昔から、疑問に思っていることがある。
街中で見かけるカメラ目線で写っている人のポスター的なやつ。
(日本語変ですが、そのまま進みます)
話が逸れますが、
人ごみが嫌いな私としては、
街中で立ち止まることはあまりなく、大体以下の4つに当てはまる時、立ち止まる。
それ以外は、進む。(なんかスゴロクみたいだ)
1.待ち合わせ
2.たばこを吸う
3.信号待ち
4.乗り物待ち
石田J一さんなら、
5.恋に落ちたら
みたいなかんじなのでしょうか。
話は戻りまして1~4で立ち止まるとき、大抵、目の前には
「カメラ目線で写っている人のポスター的なやつ」
がある。
こちらが目を合わせれば、目と目が合う。
(なんか漫画みたいな文ですが)
カメラ目線で写っている人のポスター的なやつ(長いので、KUPYと略します)
と
自分の位置が正面の時に、目と目が合うのは、感覚的に納得いくが、
KUPYの目と私の目が合う角度の範囲は、いつでもほぼ180度。
真横からKUPYの目は見えないので、あれですが、
KUPYの目さえ見える位置ならどの角度でも、目と目が合う。
これが疑問だ!(何事も言い切ると少し強くなった気がします)
きっとインターネットで調べれば
○○○効果とかで、その現象を説明してくれるんだろうなぁ~。
でも、長年の疑問だからそんな決着は嫌だなぁ~。
子供の心を取り戻して、
「魔法なんだよ!」
と言われたら「すげー」と素直に信じれたらいいのに。
結局何が言いたかったかと言いますと、
中途半端な知識や情報は、ある意味、悪だなと。
こんな時間に、
寝ればいいのに
寝ないなら練習すればいいのに
なぜか、blogをいじっていたら、禁断のボタンを押してしまい、今までのBLOGが全部消えた↓
コメントくれた方、スミマセン。
がしかし、意外と気持ちがいい!
過去が消えるというか、1月1日の気持ちというか、
なんかスッキリ。そして、もっと色々頑張ろう!とまで思えてしまうこの効果。
なんと名付けようかしら。
テトリスみたいに限界まで積み重ねて、一気に消そうかしら。
話は、とびまして
友達と電話をしていたら
いきなり
「俺の夢いっていい?」
と言われた。
その夢は、自分と同じ夢だった。
嬉しかった→タンス→寿司→鹿→叶う→嬉しかった